沢底風情 [辰野通信]
平出から有賀峠に向かう県道50号線から外れてズンドコと山の方へ登ってゆくと、
そこは沢底(さわぞこ)の集落。
山の中なのに「沢の底」とはコレ如何に?
地元のおぢさん曰く、その昔、この辺りは諏訪領と高遠領の境界だったので、
「諏訪底」(すわぞこ) と呼ばれていたそうな。
「諏訪底」とは「諏訪の外れ」という意味だそうで、このおぢさんの説によると
それが訛りに訛って「沢底」になったんだそうな。
見たところは何の変哲のない山里ですが、沢底の歴史は古く、遡れば縄文時代にまで達するといいます。
その証拠に、そこら辺の山や畑から黒曜石の矢じりや土器の破片が出土するらしく、
おぢさんが子供の頃はその矢じりを集めるのが流行っていたそうな。
この日、この集落で行きあった(「出会った」の諏訪弁)のはこのおっちゃんだけ。
もともと500人足らずの小さな集落ですが、過疎化が進んで空き家が増えているとか。
まぁ、辰野町全体の人口が十年くらい前から徐々に減って今では2万人弱らしいので、
なるほど人が減って鹿が増えているという噂もまんざらウソではないようであります。
県道50号線の有賀峠とは別に、諏訪から伊那谷や高遠に抜ける裏街道として
密かに利用されていたのが沢底の山道。
こんな山奥のドン詰まりみたいなところに日本最古と言われる道祖神があるのは
そもそもそこが集落の入口だったからであります。
この日は快晴。
お弁当を持ってピクニックに行きたくなるようなお天気ですが、風はまだ冷たく、
ローアングルで撮ろうとアスファルトに膝をつくと、氷のような冷たさを感じます。
柔らかな早春の陽射しにはアンジェニューのレンズ。
建物の造りと合わさって、ちょっと懐かしい昭和の風情。
これが集落のドン詰まりにある、日本最古と言われる道祖神。
永生二年(1502年)と刻んであるので、今から500年以上前のもの。
私が今登ってきた道が伊那へ抜ける裏街道。
看板の左手に伸びる山道は当時諏訪との行き来に使われていた裏街道。
道祖神に向かって右手に伸びている山道は高遠へ抜ける裏街道だったそうな。
今日のところはこの辺で。
明日はCP+2016に行ってきます。
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